少し前になりますが、WBC最高でしたね!
一人欠けても世界一にはなれなかった素晴らしいチームでした!
日ごろ野球にはほとんど関心のない私さえも感動させてもらえて、野球っていいなと改めて思いました。
年中から野球をぼちぼちやっている長男も、野球に見入っていました。
途中大変な場面もありましたが、それでも人を信じる栗山監督の人柄や、仲間の助け合いの精神からは、私たちも学ぶことだらけでした。
あんな大観衆の中、少年のように野球を楽しみ、周りを気遣い、ここぞという場面で力を発揮できる大谷翔平選手。
どうしたらそんなたくさんの人から尊敬されるような、素晴らしい人間になれるのか。。。気になりますよね。
そんな大谷翔平選手を育てた両親や周りの環境、大谷翔平選手の自己管理能力や、厳しい練習にも前向きに取り組む精神力や考え方について調べました。
大谷翔平の両親はどんな人?兄弟は?
大谷翔平が育った環境は?
大谷翔平の強い精神力の源、考え方
まとめ
大谷翔平の両親はどんな人?兄弟はいる?
大谷翔平選手の両親はWBCでは、取材NGになっており、メディアへは登場されませんでした。
家族の取材をNGにしたのは、両親からの気持ちで、世界で活躍する大谷翔平の邪魔になるようなことは絶対にしたくないという想いからでした。
そんな素晴らしい考え方をお持ちの両親はどんな方なのか気になります。
大谷翔平の父親・徹さんは、中学生野球監督
徹さんは、現在岩手県内の中学生野球チーム「金ヶ崎リトルシニア」の監督をされております。
身長は高く、182cmあります。
徹さんは、中学時代はエース4番、高校時代も活躍、社会人野球でも主力メンバーとしてプレーされていましたが、24歳で引退されています。
徹さんもプロ野球選手になる夢を追い続け勢いをつけていたところ、監督から、来季は戦力としては使わないと告げられたショックもあり、引退されてとのことですが、
監督は選手を叱咤激励する言葉のつもりで言ったようで、そのまま続けていれば、プロとして活躍されたのではないかと言われているほど力はあったようです。
そんな野球の知識や力のある徹さんが、大谷翔平の監督として、父として、野球に関する交換日記のような野球ノートを作り、その日のプレーを振り返っていました。
家族で楽しく野球の話をよくしていましたが、野球のアドバイスなどは、一緒に入るお風呂の中だけでするように徹していたそうです。
徹さんの親としての人間性がうかがえますね。
大谷翔平の母親・加代子さんは、元バトミントン選手
加代子さんは、長い間パート勤務されていたそうですが、現在は大谷翔平選手のサポートをするため、仕事は辞められたようです。
加代子さんの身長も高く、170cmあります。
加代子さんは小学校5年生でバトミントンを始め、中学3年生の頃には、神奈川県代表に選ばれ、全国大会で準優勝など、バトミントンで大活躍されていたようです。
オリンピックに出場された陣内貴美子さんと、何度も対戦されたこともあるようで、かなりのレベルの高さがうかがえます。
大谷翔平が子供の時も、一緒にバトミントンの練習に行っていたようです。
加代子さんは長い間、パート勤務で家計を助けていました。大谷翔平選手がプロ入りするようになってからも、パートはしばらく続けられていました。
両親共に、子供に頼るようなことはしたくなかったようで、考え方も素晴らしいですね。
大谷翔平の兄・龍太さんは野球のコーチ
龍太さんは現在、お父様の発足されたトヨタ自動車東日本硬式野球部でコーチをされています。
身長はやっぱり高く、187cmあります!
龍太さんもずっと野球に携わってきました。
龍太さんの小さい頃は、お父様は仕事でとても忙しく、なかなか野球の相手すら出来なかったことを、お父様は悔やまれていたようです。
でもそんな中、一人で野球に励む龍太さんを見ていた小学2年生の大谷翔平選手は、「僕も野球がしたい!」と言い、そこから野球に打ち込むきっかけになります。
龍太さんはご結婚されており、子供もいます。奥様とは、高知ファイティングドッグスに入団されていた時に出会っています。
大谷翔平選手とは7歳も離れていたため、忙しいお父さんに変わって野球の相手をしてくれたり、とても面倒見が良かったようです。
大谷翔平の妹・結香さんは看護師
結香さんは現在、横浜で看護師をされているようです。
また、2020年1月ごろにご結婚もされています。
お相手はなんと、大谷翔平選手の母校、花巻東野球部で部長を務める流石裕之氏だそうです!
流石氏は、世界史の教諭でもあります。
歳の差は11歳と少し離れていますね。
大谷翔平選手と結香さんは2歳しか離れていないので、姉弟げんかはよくされていたようです。
お母さまによると、大谷翔平選手は末っ子ならではの悪気のない感じで、結香さんの性格はおおらかなだったようです。
身長は168cmあり、高校時代はバレーボールをされていたとのことです。
大谷翔平選手が育った環境は?
大谷翔平選手は岩手県奥州市で生まれ、小学3年生から野球を始めました。
お父様はこの時、お兄様には出来なったことを悔やんでいたこともあり、大谷翔平選手の野球に付き合っていくことを決めたようです。
お父様とは野球ノートという交換日記を続けており、ノートには、野球の心得のようなものが書かれています。
「大きな声を出して、元気よくプレイする」
「キャッチボールを一生懸命に練習する」
「一生懸命に走る」
いつもこの3つの心得を基本にアドバイスをされていたお父様ですが、大谷翔平選手にとって、この言葉は今でも大切に思っているようです。
小学5年生の時点で110km/hを計測する、歩行者信号を破壊するほどのホームランなど、このころから活躍しており、お父様も翔平はプロになれる!と意識し始めます。
大谷家では家族で楽しく野球の話をし、お父様からの野球についてのアドバイスは日記で行うという徹底した両親の温かさが見えますね。
その後も並みならぬ練習を続け、高校3年生のころには、打者としても一流、160km/hを投げるなど、記録を更新しています。
お父様の考えで、野球をするなら田舎でやらせてあげたいとの思いがあったようで、岩手県に引っ越しされています。
大谷翔平選手は、二刀流を貫きました。その支えとなった栗山監督やジョー・マドン監督。
大谷翔平選手は、二刀流を認めてくれる球団を選びました。
自分がやりたいと心から思ったことを、信じて見守ってくれる周りの環境があったからこそ、今の大谷翔平選手が出現したのですね。
大谷翔平の強い精神力の源、考え方
大谷翔平選手は、目標達成シートというものを高校1年生の時に作っています。
このシートの使い方を簡単に説明すると
①真ん中にテーマを書き
②テーマを達成するための要素を設定
③②で設定した要素を達成するための項目を記入
こちらの目標達成シートは、実際に大谷翔平選手が高校1年生の時に書いたもの。
出典:スポーツニッポン
高校生の時にここまでしっかり書けるのは凄いですよね。
このチャートは夢を実現するためにはとても効果的だそうです。
ただ漠然と夢を描くよりも、夢を明確に紙に書き留めることによって、夢を叶えるための要素を着実に実行できるので、何かあったとしても迷いがなくなります。
そして、この表に書いてあることを毎日実行できているか分析し、次に繋げていました。
大谷選手の強い精神力の源や考え方は、毎日の積み重ねであり、決してただ運が良かったわけではないのですね。
ここまでの成功を勝ち取るために、適切な目標設定と自己分析を欠かさなかったのはさすがです!
まとめ
大谷家は、ご家族の仲がとても良さそうですね!
また、ご家族全員身長が高くスポーツ好きで、運動神経が良さそうですね。
自分の子供が少年野球などで活躍しだすと、親はどうしてもそんな子供に期待を持ってしまうものですが、大谷選手の両親の育て方には一貫性があります。
そんな明るく楽しい家庭でのびのびと育ち、好きなことを一心に続けられる家族のサポート、環境がありました。
そして夢を明確にし、日々の野球ノートや目標達成シートの活用により、日々パワーアップし、自分を最大限まで高め、夢の実現に着実に歩まれていたのですね!
見習えるところが沢山ありそうです!
これからの大谷翔平選手の活躍が、まだまだ楽しみですね。